祭りの起源
9月も半ばとなると、あちこちで秋のお祭りが盛んですね。御神輿かつぐ威勢の良い掛け声が響いてきます。
日本全国のお祭りの数は10万以上もあるそうです。さすが八百万(やおよろず)の神のおわす日本ですね
「祭り」の起源には諸説ありますが、日本の祭りは大きく分け「て神への感謝」と「神、怨霊への慰霊」の二つのタイプに分かれます。
「感謝」は作物の豊作や豊漁、天変地異や疫病からの加護、収穫への感謝。
「慰霊」は天変地異、疫病などが起こるのは荒ぶる神、あるいは、思いを残して亡くなった人々が怨霊となって祟る、という考えがあり、
その「荒ぶる霊」を慰め鎮める鎮魂を祈り慰霊するもの。これが混在、絡み合って祭りは形成されてきたようです。
秋祭りは収穫への感謝の祭りですね。神社や寺院と結びつき、各地域の民族性が祭事に取り入れられ、それぞれ特色ある地方のお祭りとなっています。神様は賑やかな事を好むと考えられ、祭りでは歌、踊り、技などが神前で披露されますがこれらは神楽(かぐら)と呼ばれます。
天岩戸の前で天照大神に出てきてもらうためにも、人々は歌い踊り舞いました。
古代、巫女が人々の穢れを祓ったり、神懸かりして交流するなどの際に行われた歌舞が神楽で能、歌舞伎、狂言として今も受け継がれています。現代の庶民の演芸、寄席、曲芸などエンターテイメントは、皆この神楽から発祥しているものといえますね。
祭り、神楽、能、歌舞伎にとって欠かせないのが、笛と鼓の楽器。
実は、この笛と鼓に東洋哲学の基本、陰陽五行の意味が働いているようです。
五行の百科事典である秘本「五行大義」の音に関する部分を見ると、
笛は「坎」で一陽来復冬至の「子」、鼓は「震」で昼夜均等の春分「卯」の象徴であるとの事。
東洋占術において、時間空間を表わす干支や九星の成り立ちは陰陽五行そのもの。
子は方位でいえば北、時刻では夜が更けた頃、「卯」は東で日が昇る時刻ですが、では笛の「子」と鼓の「卯」があって神楽ができあがるが、
子と卯の間の丑寅はどう解釈するのでしょう。
「子」は陰の極み、「卯」は陽の始まり 「丑寅」はその間のあいまいな時間空間です。
民俗学者の吉野裕子氏は、神も亡霊も、形なきものはすべて丑寅の変化の場所を経て、初めて表に現れることが可能となるのだろうと推測されています。
音でいえば、笛の音はヒューヒュー、あるいは、ピーヒャララ。鼓は小刻みにドロドロドロ、あるいはドンドンドン。
これについては吉野氏の非常に興味深い考察があります。以下 吉野氏著の「陰陽五行と日本の文化」によると
「幽霊が柳の下に出る場面で決まって出る音はヒュードロドロ。出る時刻は丑満つ時(丑三刻)で、今でいう真夜中の二時半頃。
夜も更けに更け、あともう少しで明けようという昨日と今日の境、丑寅方位は夜明けの方位、すべてのものの境、あの世とこの世の境目です。
幽霊はヒュウという笛の音に乗って居場所と言われる「坎(子)」の場所を出て、
ドロドロという太鼓の振動「震」に連れられ、陽であるこの世の端(卯)、柳の下に顕現する。「柳」は木偏に「卯」。
神もまた「幽える(かくろえる)存在」であり、祭りの際にはやはり笛と鼓が必要。
ただし、神の場合は明るく楽しく景気よくピーヒャラドンドンと威勢よく鳴り響く。
日本人にとりそのままピーヒャラピーヒャラは祭りの音なのである」と説かれています。
とても興味深い、そして奥深い五行の思想です。今も深く日本人の生活に根付いていますね。
「震」の話が出ましたが、今年は三碧木星「震」の年。(残り四分の一ですが)
若々しく激しく動き鳴り響く、大地の震動、万物生長、争い、嘘、火災、爆発、噴火…、
様々な象意が混じり合いながら時が過ぎ行きます。
三碧木星の年は西に五黄が回り、西の象意・少女にとって注意の時でもあります。
あと半月のちの10月の声を聴いたら、そろそろ来年の二黒土星の象意が影響し始める頃です。
来年は女性が強いリーダーシップを持ち、個人は調子が良いですが、全体的には病気に注意の年。
世の中全体はなんとなく重だるい空気感かもしれない様相な感じがしますが
ひとりひとりは自分自身と自分のやりたい事や夢を持ちながら、健康で
関わる大切な人たちとの時間を大事に育んでいきたいものだ、と思う毎日であります。